台湾

2017年 9月
 18日から21日にかけて、台湾に三日間滞在した。初めての海外だったし、相談した人からも台湾を推薦されていて行き先に拘りを持っていた訳ではなかった自分は勧められた通りにした。一度何処か海外に行ってみないと、比較することができなくて本当に行きたい国なんてわからないんじゃないかとも思っていた。結局始めはどこでも良いんだ。

これから(できるだけ)時系列順に書き連ねていく。

1日目 台湾へ到着 龍山寺

 昼過ぎのシンガポール行き台北経由の便を取ったため余裕を持って搭乗できると思っていたが成田空港が千葉県にあるとは思っていなくて、前日の深夜に慌てて新宿発の成田エクスプレスを予約した。乗客は中国人がほとんどだった。空港に着くと不思議とテンションが上がってきてこういう気分はガキのまんまだと苦笑した。ちなみに成田国際空港は世界でみても最も混雑レベルが高いレベル3の空港らしい。毎朝の山手線を乗っていた身としては「混雑」に対するう感覚がバグってしまっているようで全く気にならなかった。

 搭乗手続きも無事完了しゲート付近で30分ほどフラフラした後に喫茶店でサンドイッチを購入し、搭乗した。20年前に発売されたライトノベルを読みながら時間を潰し、15時前に台北の桃園国際空港に到着した。ちなみに台湾との時差は一時間だ。初めての海外での手続きに不安があったが、したことといえばパスポートをスタッフに渡すだけぐらいだった。とてもシンプルで良いシステムだ。台湾で携帯が使えるようにSIMカード(ちゃんと使えるかどうかとても不安だった)とプリペイド式のICカードを購入し、台北駅へ向かった。台湾には今年度から空港と台北駅が直結している電車が開通したらしく、一本でハブ駅である台北駅へ向かうことができた。

 本当に辿りつくだろうな?という初めて使う電車にありがちな疑いを持ちながら窓から景色を見ていた。殆どが森林や田園で日本と似ていたけど、違いは見て取れた。日本と比べて無理やり山を切り崩して平地にした様子がなくて、凹凸がそのまま残った状態で家が建っていたように思う。東南アジアに近いからか、植物の色が日本の森林と比べて濃いように見えた。でもこれは僕の目の感触だけのものだから間違ってるかもしれない。でも本当に濃く見えた。

 台北駅は周辺も含めて三日間通して乗り換えでしか使わなかったから全貌はわからないけど、人の量は東京駅と比べればずっと少なかった。ちなみに台湾ではプラットフォームのことを「月下」と書くらしい。可愛いね。予約したホテルは台北駅から一駅の西門町と呼ばれる日本でいう渋谷や原宿のような若者の町の中心部に位置しているので西門駅から歩いて向かった。初めての海外の景色に興味を引かれながらも目先の気持ちは「さっさとホテルに着いて休みたい」だった。思っていた以上に長距離の移動に疲労を感じていて、足が疲れないと愛用していたROCKPORTの革靴を履いていたのに足の平がミシミシと痛かった。日本と比べて完全に舗装されてるとはいえない台北の道のせいか?とも思った。

 ホテルのチェックイン時に自分の英語が全く通用せず少々手こずったけどスタッフの無知な人間に対する大きな親切心のおかげでなんとかなった。ホテルはわざわざ窓付きの部屋を予約した。イメージ通りの白と黒を基調としたシンプルな部屋だった。テーブルチェアに腰を落としてしばらくうなだれていたけど、旅先にまで怠惰な自分を運んできた訳ではないんだとキャリーバッグを置いて身軽なリュックだけでホテルを出た。歩いて30分ほどの所に龍山寺と呼ばれる有名なお寺があるそうなのでそこに向かった。歩いているとオートバイの量が日本とは桁違いに多いことに気づいた。道路脇には殆ど原付が並んで駐車されていた。

 龍山寺にはたくさんの神様が祀られているらしい。正直全くよくわからなかったが、荘厳なデザインには目を奪われた。ライトアップされていないのに、やけに寺の中が明るく感じた。ここには観光客はもちろん地元の人間もよく参拝に来ているらしく、たくさんに人がお祈りしていた。事前にお参りの方法を調べてこなかったのでマナー違反を恐れた自分はパスした。どうせ祈りたいことは思いつかない。龍山寺を出ると付近にある華西街観光夜市へ向かった。台湾の観光スポットとして夜市は有名だが、この華西街観光夜市が台湾最古の夜市らしい。現在は観光者向けの夜市ではなく地元の人間だけが使うような夜市になっていて、なにやらヘビやらアダルトグッズやらいかがわしいものが多く並んでいるらしく、男性客はポン引きに注意とネットの情報には書いてあったので、とりあえず気構えして夜市へ向かった。結果的にポン引きには全く遭遇しなかった。ちなみに僕は歌舞伎町ですら声をかけられたことがない。よっぽど金がなさそうな貧相なオーラが溢れてるんだと思う。そこで初めて台湾で食事した魯肉飯と呼ばれる豚肉の煮込みをそぼろ状にしてご飯に乗せたシンプルな食べ物だ。美味しかった。140円くらいした。食事を待っている間に相席したおじいさんに話しかけられたが、おそらく地元の人間で詳細な意思疎通が不可能と判断して紙に「日本人」と書いて見せた。その人はそれを見て別の人間に話しかけ始めた。とりあえず台湾の幸福度の高さを垣間見た気がした。40分くらいかけてホテルに戻り、シャワーを浴びて眠った。

二日目 故宮博物館と港町淡水

 7時に目を覚ましてゆっくりと準備をして朝食を食べるために西門駅沿いにある蜂大咖啡という店に向かった。蜂大咖啡、いい名前だ!350円ほどのパン二枚とハムと目玉焼きがついてくるセットを頼んだ。目玉焼きは目玉が潰されていてほぼロースト状態になっているように見えた。生卵に対する衛生管理の違いなのかもしれない。目玉焼きは少し甘かった。食事を終えて台北駅へ向かいそこからバスで博物館へ向かった。世界四大博物館の一つである故宮博物館には、歴代の中国皇帝が収集した美術品が保管されている。博物館の中ではテーマごとの部屋が設置されていてわかりやすかった。ガラスや金属や土器でのジャンル分けや時代で分けられている部屋もあった。何十万点もの美術品が所蔵されているらしく、公開されているのはごく一部らしい。自分はその中でガラスで作られた美術品が気に入った。デザインも綺麗だったけど綺麗な円になってる工芸品があって「これ作るのに何人死んだんだろうな」とか思い始めると嬉々と写真撮るもんでもないのかもな、と感じながら写真を取ってた。団体の中国人のおかげ夕方になると展示品のガラス窓が指紋でベタベタになると書かれていたが平日の午前中は特に問題なかった。団体客の一人が床に特大の唾を吐いていて笑ってしまった。一通り展示品を見て満足した後に故宮博物館にあるちょっと高めのお店でお昼ご飯を食べた。炒飯と小籠包と胡麻団子を食べた。量が多すぎて残してしまった。でも美味しかった。

 バスで台北の中心部に戻って電車で淡水という港町へ向かった。淡水には日本の統治時代の領事館やフランスが建てた建築物が残ってあって、異国情緒が溢れる町らしいので楽しみだった。駅前でレモネード(馬鹿でかい)を買って飲みながら歩いた。台北の町並みとは少し違って雰囲気があって観光客が少なかった。駄菓子屋みたいなとこにいた物静かな犬に近づいて頭を撫でようとしたら思いっきり叫ばれて腰が抜けそうになる程ビビってしまった。この町の埠頭で見る夕日が一番綺麗らしいので、初めはそこへ向かおうとしたがフェリーで向かわないといけないほど遠い場所にあるので諦めて海沿いの丘に点在している文化的施設を見て回ることにした。16世紀にスペイン人が建てた紅毛城や教会、淡水の中学や高校を見て回った。中でも淡水にある国立高校の中がとても綺麗だったけど、平日は当然生徒が利用しているので入ることができなかった。英国領事館でもあった紅毛城にはとってつけたような白人の人形が中に置いてあり、もう少し上手くやれたりはしないのかなと思った。フラフラと歩いている途中に日本統治時代の要人が住んでいた日本家屋が再現されている施設があって、見学者が僕以外いなかったため小一時間滞在した。改めて、日本の和式家屋の設計に感心した。外は30度を越えていたけど、中にいる時だけ本当に涼しく感じた。帰りには紅楼と呼ばれる洋館の3階にあるカフェでも夕日が見れるそうなので向かっている途中のコンビニの前には中学生程度の子供達がたむろしていた。足の長い綺麗な女の子たちがタバコを吸っていた。タバコを吸ってケラケラしているのに、日本の子供より純粋そうに見えた。カフェでは夕日が見えた。写真では上手く撮れない綺麗な夕日だった。それ以外は特に何も感じなかったけどある程度の満足感はあった。帰りは電車を途中下車して饒河街夜市に向かい串焼きを二本だけ食べて帰った。ああもたくさんのお店が並べられるとどれを食べていいかわからなくなって食欲がなくなる。そのまま帰って眠った。

三日目 温泉街ウーライと九份

 三日目の昨日と同じ喫茶店でサンドイッチを食べた。サンドイッチもなぜか甘く感じた。台北駅からバスに乗って烏来と呼ばれる温泉街へ向かった。効きすぎている冷房の車内で音楽を聴きながら一時間半程度揺られるとエメラルド色のした大きな川が見えるようになった。台湾の川がなんでそんな色をしているのかはわからないけど日本の川より綺麗だった。河川敷では野良犬が何かを探していた。降りるバス停を一つ間違えて30分くらいかけて烏来の中心地へ向かった。台湾の紫外線は日本と比べても強いらしく日差しが痛かった。烏来には烏来瀑布という滝へ向かうトロッコが出ているそうなので乗っていた。正直トロッコさえ乗れれば烏来は満足した。ディズニーランドのアトラクションみたいな乗りごごちで乗車中は風が涼しくて気持ちがよかった。刺々しい断崖から湧き出ている滝を見た。水風船に穴を開けて飛び出ているようだった。烏来には日本統治時代の大戦時に義勇兵として何千人もの若者が戦争に参加したことから慰霊碑が作られているそうなので、長い時間をかけて山の上の方にある慰霊碑まで階段や山道を登って行ったが、慰霊碑は二年前の台風で粉々なったそうで今はもうないらしい。山道で工事をしていた男にそう言われた。仕方なく山道を降りて、烏来老街の中あるお店で竹筒飯という竹の中に詰まったもち米を食べた。少しパサパサしていたけど美味しかった。炎天下の中で水分を取り続けながら歩いているとあまり食欲は湧かない。帰るときのお土産屋で原住民が編んだというスカーフのようなものを買わされてしまった。あれ、いつ使えばいいんだろう。

 烏来から一度バスで台北まで戻り、其処からまた別のバスで九份へ向かった。バスで向かう前に駅内のデパートで有名な小籠包のお店があったので入って見た。受付の綺麗な女性店員は僕は見ただけで日本語を話しかけてきた。服装で中国人と判断できるのだろうか。そのお店の店員は可愛い人ばかりで、身長が160cm前後で小顔の足が細くて長い人ばかりだった。黒のタイトスカートに白のシャツという服装はちょっとエロかった。もしかしたら店員として選抜する条件のようなものがあるのかもしれない。日本だと炎上騒ぎかもな。九份千と千尋の神隠しの町並みのモデルとなった街と言われているが、公式に宮崎駿は否定しているらしい。とりあえずという気持ちでバスに乗った。相変わらずバスは冷房が効きすぎていた。九份に向かうバスには日本人もチラホラいて、大きな声で関西人の男が何か話していた。関西の男の話し方は中国人に負けず劣らずアクセントが強くて耳に残る。一時間半ほど高速にも乗り無事に九份へついた。九份は狭い路地に店が立ち並んでいて、平日でも観光客で溢れていた。それでも朝の品川駅に比べればまだ余裕はあったが、特にお土産や食事に興味はなかったのでフラフラと歩いて、有名な茶店の外観の写真をとって観光客がほとんど通らない路地へ進んだ。人通りが少ない細い路地には周囲の建物で日差しが通らず、吹き抜けた風が入ってきて歩きやすかった。自分の足音しかしなくて、この道の方がよっぽど千と千尋に似ていると感じた。路地沿いにあったカフェの二階でアイスコーヒーを飲んだ。一階には柴犬のような犬が寝そべっていた。連写する自分には目もくれずぼうっとしていた。頭を撫でても特に反応はなかったけど可愛かった。二階にいる猫は触ろうとすると逃げられた。どちらかというと自分は猫に嫌われやすい気がする。夜間のライトアップされた九份の町並みはとても綺麗らしいが、帰りのバスの混雑具合が不安になったのと、九份にいるとなぜか孤独を感じ始めたから一時間半ほど滞在してすぐに帰りにバスに乗ってしまった。駅についた時にはもうヘトヘトのヘトという具合になっていて、衰弱の領域に達していた。長時間の激しい温度変化は思った以上に体力を奪う。其処からはホテルの最寄りの西門町へ戻り、街をフラフラと歩いた。西門紅樓という日本統治時代に作られた日本人が設計した建物には、お土産屋やデザイナーが開いている店が入った複合施設になっていた。その中にあった不機嫌な顔をした動物が描かれているTシャツや、よくわからないリップクリームを買った。Tシャツは今もとても気に入っている。帰りに濃い魚の出しのようなスープに入った素麺のようなものを立ち食いしてホテルへ帰って眠った。

 

四日目 台北周辺 帰国

 最終日はすでに観光することに満足していたため、特に何も考えず台北駅周辺をフラフラして帰ろうと決めていた。朝ごはんは台北で有名な朝食屋さんへ向かった。平日の10時代だったから其処まで混雑はしていなくてすぐに買うことができた。パンに卵が挟んである食べ物とビニールに包まれたおにぎりを食べた。おにぎりが特に美味しかった。多分、具はカツオだったと思うけど本当はどうかわからない。相席したお姉さんが手をベタベタしていたからウェットティッシュを差し出したけど何も言わずに渡したからかなり変な人間に思われたらしくて渡したことを後悔した。もっとスマートに人に話しかけられるようにならないといけない。唯一行くことにしていた台湾国立博物館は閉館していた。博物館の雰囲気が好きなので残念だった。博物館の近くの木には野生のリスが木登りをしていた。東京でリスは見かけたことがない。歩いて10分ほどの所に総督府という日本統治下に使われた官庁へ向かった。現在も中華民国の総統府として使用されているらしく、軍人が物々しい雰囲気で警備に当たっていた。ちなみに建物自体は東京駅を設計した人間が設計したらしく、なんとなく雰囲気が似ていた。自分は東京駅より総督府の方が好きだった。入り口で荷物検査を経て日本人ツアーに混ざって総統府の歴史を聞いていた。途中で話を聞くのに飽きるとツアーを抜け出して一人先へ進み通路を一周回って外へ出た。そのあとは台北駅まで向かい其処から桃園国際空港への電車に乗り換えて、手続きを済ませターミナルで数時間フラフラしていた。定刻通りに飛行機は離陸して無事成田空港についた。家についたのは12時ごろだった。翌日は昼まで眠った。

最後に

三日間台湾に滞在して、日本との相違点を気づいた分だけ書き連ねていく。

 

・ヒールを履いている女性が少ない。


東京の女性と比べて本当にヒールを履いている人が少なかったことに驚いた。何故こんな所に違いがあるのかを少し考えて見たが、台湾人は日本人と比べて身長に対するコンプレックスが少ないのかもしれない。これは日本人の潜在的な白人コンプレックスにも繋がっているのかもしれないと考えたが、考えすぎな気がした。実際は日本と比べて綺麗に舗装された道ばかりという訳でなく、単純に台湾人は外見より合理性を選んでいるだけなのかもしれない。スニーカーを履いている女の子が多く、靴が汚かった。台湾は汚れやすいのかもしれない。やけに靴屋を多く見かけたから、日本と比べても靴は消耗品というイメージが強い気がした。

 
・建物と建物が密着している。


日本と台湾の町並みの最大の違いは建物と建物が密着している点にあると思う。狭い国土だからしょうがないのかもしれないが、あんな状態だと家を建て替えるということになるとその道の建物すべてを取り壊さなければならなくなるように思えた。固そうなコンクリートでできた家が多かった。地震の少なさもああいう町並みに関係しているのかもしれない。法律がどうなっているのかが気になった。


ファミリーマートの入店音が1音足りない!


この事実に気づいた時僕は何故か軽い興奮状態にあって僕だけが気づいてしまった世界の真実みたいな気分になっていたが、よくよく聴いてみると一音足りないと感じた正体がわかった。台湾のファミリーマートには副旋律がなかった。日本のファミリーマートの入店音のメロディはよくよく聴いてみると主旋律と副旋律の二つのメロディで構成されていて、左から数えて七番目の音は副旋律だけ鳴っている。台湾のファミリーマートの入店音は(何故か)主旋律しか鳴らさないようになっているから当然日本と比べて一音足りないように聴こえてしまうということがわかった。何故台湾には副旋律がないのかがわかる日が来ることはない気がする。正体がわかっただけでもラッキーとする。
そんなこんなで台湾旅行が終了した。とりあえず軽い気持ちがで海外に行ったが、とても良かった。異文化に触れることはそれだけ心の何かが刺激される感触がした。自分は歴史的背景を感じる町並みが好きなことがわかった。台湾を勧めてくれた人に感謝したい。次はベトナムに行ってみたい。まあ、10月から悲痛な労働生活が始まるのでこんなことも言ってられなくなると思うけど。

はー疲れた。これを書くのに6時間くらいかかった気がする。